イタリア料理をやるきっかけはズバリ、
当時イタメシと言う名があったように流行りでカッコいいから!と、
思ってましたが、、、、。


いざ、現場で始めてみるとなにもかもがキツイ。この一言。

当時はなにもかもがきつくなにをやっても怒られる。
失敗する。
の連続。

ただ心に思っていたことは「シェフになりたい」。
シェフの仕事すらわからないくせにそんなことを思って、
どのお店で働いても誰よりも早く行きでることをなるべく終わらせて、
とやっていたような。笑


そんな時、第1話で登場したイタリア人女性がイタリアで働けるレストランがあると!!!!

なにー!!!
本場で働ける?

いけるのか?
できるのか?

高校時代までは競技スキーに明け暮れて勉強もろくすっぽせず、
英語はもちろんまさかのイタリア語なんて夢のまた夢!
いざ、イタリアへ! その前の。。。
なんとイタリア人の女性の方が友達が
イタリア語を自宅で教えてるというので行ってみることに。
頭のなかでは日本人が教えてくれてると思っていたら、
いざ自宅訪問したら出てきたのはイタリア人の!!
しかも絵に書いたようなマンマではないか!!!!

え?

となったがとても流暢な日本語で1時間半の
6回のレッスンをやってもらいました。

そう、イタリア行きが決まってからの
時間がないかなかのレッスンは
相も変わらず勉強嫌いのぼくには、、、10まで言えるぐらいに。


本日は長くなりましたのでこの辺で♡
次回はいざイタリア!
目的地はフィレンツェへ!

子供の頃から、そう、それこそ幼稚園の時から食べることが好きで、大食いで早食い、、、。
お腹が空けば冷蔵庫を開けてハムやチーズを食べては遊びに行く幼少期。

そこに両親も共働きということもあり、母親が帰ってくるまで待てずに勝手に作ったり。


そのことはなんの苦もなく、お腹を満たしたい一心でやり始めた料理。
始めはインスタントラーメン。

そこにもやしを入れたり、
ハムと野菜をいためてみたりとこうすればもっと美味しくたくさん食べれる。


ただそれだけがスタートに笑

その内、友達の分も作ったりと。美味しいと言われることが快感に。


中学生まではそんなことをやりつつ、高校生になった時は東京へ。
今度は親父と半2人暮らし。

部活が忙しく?外食が多いなか、足りない空腹時は自炊。




今思うと食べること、食に興味があったからこの仕事についてるのかなと思います。
これからも美味しいものをどんどん食べるぞ〜!!!!!
今回のブログは少し長く、何話かに分けてオステリアサンテが今に至る、
この話をしたいと思います。


オステリアサンテ よしです。

衝撃のラザニア!

イタリア料理を始めて10数年。
これは偶然が重なり、そして必然が重なったのか???

小学校2年生ぐらいの時、群馬県の田舎な町に住んでいて
母親がとあるイタリア人と仲良くなったのが初めてのイタリアの始まり。

別荘地区にとある日本人とイタリア人と女性の夫婦、
その子供2歳か3歳がいて、
ある時そに自宅に夕食を誘われたらしくご馳走になりにいきました。
はっきり覚えてるのはラザニア!

これを食べて時は衝撃!!

チーズの匂い笑 今まで喫茶店にあったパルメザンか6ピーチーズしか食べたことがなかった人が
パルミジャーノの味と香りに、、、、。

正直、ぐわっと。。。


それがイタリア料理との初めての出会いでした。


そこでもっと驚いたのは家の中まで土足で生活してたこと。
土足で家に入ったらスーパー怒られてたのにここはなぜ????と。
兎に角、衝撃の本場イターリアのマンマの味でした!



第2話は料理をやるようになった理由 です。